はじめに
今回のイベント発起人は、岐阜県多治見市出身の女性ラッパー・ANTY the KUNOICHI(アンチ・ザ・クノイチ)
今年デビュー20周年の節目に、地元・多治見へ貢献できるイベントを企画。
今回を皮切りに、今後年2回のスケジュールにて開催。
東濃地方、多治見ら辺(通称:タジヘン)の人たちを中心に老若男女問わずみんなで多治見で遊び尽くしちゃおう!!をテーマにしたイベント。
運営スタッフも、多治見に生まれ育ったのちに日本全国、世界に羽ばたき修行を積んだ面々が帰郷。それぞれが養ったスキルを持ち寄り、ふりだし(地元)に戻ってきます。
野外イベントについて
イベントを通じて多治見の魅力を発信。駅前サーキットで駅前周辺を歩く事で『多治見ってこんなに楽しいんだ!』『こんな場所があったんだ!』と、新しい発見を見つけていただいたら幸いです。。音楽・ダンスショー・フードや物販出店を通じて、子供から大人まで安全に楽しく、多治見ら辺を中心にした東海地方のカルチャーに触れてください。
多治見や周辺地域出身のアーティストや店舗・企業様を中心に開催する事で、多治見市内のみならず市外や県外から多くの方に多治見に遊びに来てもらって、それにより地域の活性化を実現したい。
屋内イベントについて
多治見ら辺ドリックス “混沌Side” in BUZZ。
野外会場とは趣を異に、こちらはダークネス。
ANTY the KUNOICHIデビュー20周年を記念するならと、自らに向き合った時、二面性が。太陽の下と太陽を遮るところ、2会場開催じゃないと!としっくりきた。
多感な時期を多治見に育った私は、吹奏楽の経験から友達に誘われるがままにスカコアコピーバンドに加入。真面目だった少女ちゃんはそちら側の世界にどんどんハマった。練習スタジオは”SOFT”という当時ながせ商店街にあったCDショップの奥(地下だったかな)で、練習前後にはもちろんCDを物色。面出ししてたわけでもないのに目が合った『さんピンCAMP』のオムニバスを買ったんだ。
それからというもの、またしてもそちら側の世界にどんどんハマった。90年代のHIP HOP、リリックはド直球だし単純なビートなのにかっこよくて、もわからずハマった。でもそういうのは東京の、都会の、文化だと思ってた。
それとなく時は過ぎ、地元の飲み会行ったらDEVICE CHANGEのメンバーに出会ったんだ。バンド名は知ってたけど見たことなかったから”じゃあライブ行きますね”ってことでHUCK FINN(名古屋・今池)だったかU!INK(岐阜・可児)だったかに見に行ってこれまた衝撃。またしてもそちら側の世界にどんどんハマった私はついに!伝説のHARD COREとHIP HOPの祭典『MARDER THEY FALL(’99/Vol.2)』に潜入したのであります。
ダイアモンドホールなんてでっかいとこで、イカチぃお兄さんばっかだし、重たい爆音が下腹にドコドコくるし、脳内大混乱の中、フライヤーに載ってなかったのに出てきた女性たちがいた。それがNOCTURN(ラップ2人組)とChisa氏(シンガー)。
“あたしもこれやりたい”ってそっち側の人間になりたくて、こっそり曲作りの研究を始めたわけです。
高校の先輩(NOIZEの人)がclub buddhaでイベントやるからっていよいよクラブ初潜入。なんとなくラップの書き方がわかったような気がしてレコード聴いて、インスト探して、選んだのはWho’s That Girl? / EVE (’01)、吹奏楽部の青春が黙ってない選曲となりました。最初のライブは、タジヘンで音響やってくれるPrimeStyleのRYOが主催してたんだけど、2度のチャレンジ後に、黙ってマイクを置きました。
つまり、歌い出しのリリックが飛んじゃって歌えなかった。その時の光景は今でも忘れられない悪夢(もとい現実)。
ラッパー修行中の杏里ちゃん、それからもライブハウス通いは続き、ついに出会うのがCALUSARIのサウンド。ご存知、一大ムーブメントを巻き起こした漆黒の軍団だったんだけど、私にはカラフルに映って、熱狂。POUNDからのM.O.A.、Phobia of Thug、M.O.S.(M.O.S.A.D.)にBALLERS、Ⅱ-J氏(TWO-J)、掘れるだけ掘って自分に吸収させたんだな。
そして私はデモテープ作りに取り掛かります。当時の相棒DJ 034(マサシ)と、6畳+αの部屋に閉じこもって夜な夜な。出来たものをクラブで配ってはきっかけを探して、ついに女子大小路(名古屋栄4,5丁目一帯の通称)club JB'SにてTOKONA-X氏に出会うのと時を同じくして、LUSH THE UNDERGROUNDにて、Mr.OZ氏に見つかる(あれ。あの子俺らのライブ来てた子じゃない?って)。
そこからはTOKONA-X氏のソロAL.『トーカイXテイオー』('04)に客演参加、'05にはMr.OZ氏が立ち上げたレーベルBIGG MAC WORKSからEP『U:NEEQ ROCKIN'』でデビュー。BIGG MAC WORKS 1作品目のリリースはPhobia of Thug、2作目が私でした。憧れたちといきなりレーベルメイトになるわけでした、なんともありがたい。
その頃、お天道様の似合う東海一帯のHIP HOPで言えば、NOIZEやその他ユニットから東濃出身メンバーが加入したnobody knows(+)と塾長ことSEAMO氏が紅白出ちゃったり、ステージ街道を歩み始めたばかりの私に、いろんな生き方を見せてくれた。
塾長率いる"男塾"に、女の私(相当太々しかったらしい)を塾生にしようとしてくれたSEAMOさん主催のフェス"東海サミット"ではオープニングアクトだったけどウン万人の前で歌わせてくれたり、初めてのギャラはSEAMOさんからいただいたり、またまた想い出がいっぱい。
あの頃の東海一帯が放つパワーったらとんでもなかったよな。
デビューした私は同年Full AL.リリース、以降も1年に2作品はリリースしてた、まわりの勢いにも触発されて溢れ出る創作意欲。
そして翌年2006年は大事な年、この頃住んでたマンションのエントランスでキズだらけの三毛猫に出会ったので。車に踏まれて瀕死のその子を病院に連れて行って”レディ”と名付けて小さな部屋で一緒に暮らし始めました。獣医さん曰く、彼女は3〜5歳くらいって、でも何かを悟ってるような、ずいぶんと人間味のある子でしたから、私と出会う前に一体どんな暮らしをしてたのか気になって、私は想像の物語を描き始めたわけです。
5曲も書かせてくれたレディは、私の猫シリーズ曲の数々となって、今でも生きています。
猫の曲から怒りの鉄槌、愛の歌にピロートークまで、いろんな題材書いてきたけど、睦言ソングといえば、’07のGanxta Cue(G.CUE)『SUCK feat.AKIRA&ANTY the 紅乃壱』は転期をくれた。たくさん曲を書いてると、スパっと完璧にハマる瞬間ってのがわかんなくなる事があって、でもこの曲でハメ方ってのがわかったんだよな。今G.CUE氏とは飲んで語ってお尻を叩きあう関係、夜中の2時間電話がお約束です。
ちょうどその頃、UMB(フリースタイルバトルの大会)の決勝に進んだラッパーが瑞浪出身だって、それが”Mr.DEEP EAST SIDE”TOSHI蝮で。喋ったらいいヤツだしラップもかっこいい。まだ彼は10代だったはずで、東濃産HIPHOPの新興勢力きたーーって、喜んでいたものです。去年リリースしたAL.も良かった、彼の濃ゆいHIP HOP。
さて、私の話に戻りますと、BIGG MAC WORKSから5作品リリース、移籍先レーベルから2作品、その後ZIP CITY Recoedsから1作品後の2010年、Victor/plusGROUNDからメジャーデビュー。元々、自分の音楽ジャンルが固まってしまうのを恐れていたのもあり、この頃から自分を壊しにかかる。何かが枯渇したのか。そして1回目の結婚。
それを機に静岡は清水に移住して、何かを見つけようとしてたんだろうけど見つからずに出戻り。あの日々は今でも出鱈目な夢のよう(もとい現実)。
スクラップにかけかけるも、定期開催してたワンマンライブ企画は続けながら多治見に戻ると、”もっと歌いたい”という心の声はよりクリアに聞こえるようになったんですね。
憧れだった非現実の世界が、自分を取り巻く現実になった時に、その現実感を壊そうとしたのかもしれないな、なんともわがままな。
それからまた時は過ぎ、過去作品集のMixCDはリリースしてたものの、完全新録作品は11年ぶり、’21にFull AL.『猫だまし』を発表。打ち込みビートにバイオリンとピアノな曲や、自分でビートから作った曲、ラップだけじゃなくて歌も歌うようになったし、”この11年は無駄じゃない、壊しかけて良かったのかもしれない。”と思える作品となりました。作品ジャケット表紙の絵はタジヘンにも描きに来てくれる世界的アーティスト若野 桂氏(岐阜県出身!!)。若かりし私に会うと”顔が丸いのに髪型も丸いのってどうなの”なんてブツブツ愛ゆえのボヤキが毎度でしたが、この頃には私の歌声(ラップ声?)に太鼓判押してくれるようになってたのもまた誇らしく、盛大に開き直っているわけであります。
名古屋に暮らして20年、あちらで東濃の人と会うとテンション上がりますね。ある日のクラブで『オレ土岐出身だよー』て方と会いまして、その名はDJ APITACO(アピタコ)。変な名前だなーって思ってたら高校時代のあだ名だって、由来は多治見のアピタら辺によくいたからとかなんとか。話してたら女子大小路で”ONEAPiANO(ワンアピーノ)”ってバーをやってるんですと、それからしばらくして入り浸るようになりまして。
彼はロックに精通したDJですから定期定期にライブイベントを開催してて、’23の”APiTACO NiGHT”に私もライブ出演いたしました。
その夜はまさに東濃ナイトで、出演バンドもお客さんも東濃率高!!っていう。そしたらリハでHoly氏(Dr./ ex.DEVICE CHANGE)がセッティングしてるではありませんか!!!さらにはHirano氏(Gt./ ex.DEVICE CHANGE)までもがっ!!
そのバンドがRED ROLL BLASTER(R.R.B.)でした。
そもそも私がONEAPiANOでたまにやってる”スナック杏里”って企画にSHU-TA氏(Gt./ R.R.B.)が来てくれたりで面識あったのにな、カッチョいいバンドやってる人だってのは知らずに失礼こいてたんですね。それからはR.R.B.のライブへも足繁く通ってるし、飲み友達(先輩)にもなってもらいました。
さぁそろそろまとめないと。
ジャズフリークで、娘にジャズさせたかった父が買ってくれたテナーサックスからスカコアへと向かった私。
映画と小説の世界に入り浸ってた母からは妄想気味な私。
吹奏楽部、中学卒業の時に『音楽は、”音学”じゃなく”音が苦”でもなく”音楽”なんだ!!』って黒板に書いてくれた、恩師の高田治彦先生からは音を楽しむ自由を得た私。
20周年を考えた時、ワンマンライブじゃなくてこれまで出会った大事な人たちとやりたいと思った。それが”多治見ら辺ドリックス”。
『多治見の街でもっとたくさんの人が遊んでたらいいのにな』って気持ちで、音楽を通して多治見ら辺に恩返しします。
さぁ今夜もBUZZで打ち合わせ。
タジヘンやるぞって決めてから『あそこでライブやれたらな。』と一番に閃いたBUZZ。去年、同窓会の3次会で飲みに来てたのもまた繋がった。
ドキドキしながらオーナーの康太郎さんに相談すると、とても親身にご協力してくださって。このあたたかさ。
打ち合わせのあと、音楽のるつぼに浸るきっかけをくれたながせ通りをSHU-TA氏、タジヘンスタッフのHisashi、RYOと歩く。
『赤ポケ行ったよねぇ』『みのわは変わらんわぁ』『ここSOFTだったよね』
『俺あそこのゲーセンの奥で×××…』『ユニーのトイレで×××…』『あそこのじまんやきは…』
10代から一緒にいた仲間も、10代の頃ここですれ違ったかもしれない人たちとも今、一緒にいる。
僕らの尽きない思い出と未来を、ながせ通りの街灯が照らしてる。